東京高等裁判所 昭和35年(う)542号 判決 1960年9月27日
控訴人 被告人 滝口嘉一
弁護人 森武市 外一名
検察官 坂本杢次 長谷多郎
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は弁護人森武市、同小国修平連名提出の控訴趣意書記載のとおりであるからここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
右弁護人の控訴の趣意第一点について。
論旨は、原判決は、その理由にくいちがいがあるから、破棄を免れない、というのである。よつて、原判決を査閲すると、原判決は、罪となるべき事実として、被告人は昭和三十四年二月十九日午後零時三十分頃船橋市湊町三丁目二千三百七番地寺崎和朗方宅地境界において同人所有に係る高さ六尺位、長さ四尺位の板塀(時価三百円位)を手で剥ぎ取る等してこれを損壊したものである、との事実を認定し、これを認めた証拠として、被告人の原審公判廷における供述、寺崎和朗の告訴状、司法警察員巡査部長進藤重忠の実況見分調書(写真十枚、略図二枚とも)、証人伊藤治夫(第一、二回)、同吉岡慶三、同寺崎和朗、同角頼宜(角頼宣とあるは誤記と認める。)同斎藤岩次郎、同滝口ふさ、同吉田貞一の原審公判廷における各供述、原審における検証調書及び被告人の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書を掲げていることは所論のとおりである。しこうして右原判決の判示するところによれば、原判決は、被告人が損壊した本件板塀の設置場所(原審における検証調書添付の見取図に表示された(ホ)(ヘ)(ト)(チ)(リ)を結ぶ地点)は船橋市湊町三丁目二千三百七番地の境界であつて、同地番の土地所有者は寺崎和朗である、と認定したものであることも所論のとおりである。所論はこの点につき、右二千三百七番地の土地所有者が寺崎和朗であることについては、原判決挙示の証人寺崎和朗の証言中にその旨の供述があるけれども、右板塀設置場所が右二千三百七番宅地の境界であることについては、原判決挙示の証拠によるも全くこれを認め難い、と主張するにつき按ずるに、原判決の掲げた寺崎和朗の告訴状によれば被告訴人たる被告人外一名が原判示の日の午後一時頃私(寺崎和朗)方宅地内に設けた板塀を不法に破壊した旨の記載があるほかには原判決挙示の証拠を検討しても、前記板塀設置場所が右寺崎和朗方地内であることを認むべき資料はなく、かえつて、原判決挙示の原審証人滝口ふさ、同角頼宜、同伊藤治夫、同斎藤岩次郎、同吉田貞一の原審公判廷における各供述及び原審における検証の結果を綜合すれば、被告人所有の船橋市湊町三丁目二千三百六番の一宅地と寺崎和朗所有の同所二千三百七番宅地との境界附近地域は空地になつており、両地の境界を示すべき標示は何一つなく、いわゆる子供の遊び場に使用されるままに放置されていたところ、昭和三十三年十二月十日頃右寺崎和朗より右両地の境界を定めようとの申出があり、同月十四日被告人側では被告人の代理人として母滝口ふさ、伯父角頼宜の両名、寺崎和朗側では、本人、和朗の父武男、寺崎方建築請負人吉田貞一その他家族二、三名の者が現場に集合し、右両地の境界を定めるべく協議したのであるが、寺崎側では、和朗の祖父が船橋市吏員に作成せしめたと称する図面に基いて境界を定めるべきことを主張し、被告人側では同市備付の公図によるべきことを主張し、両者の主張が一致しなかつたため、角頼宜の提案により第三者の意見を聞くこととなり、かねて知合の伊藤治夫の立会を求めて協議を遂げた結果、翌十五日再び現場に集合し、公図に基いて両地の境界を定めることに被告人側及び寺崎和朗側両者の意見の一致をみ、翌十五日午後再び前記の者らが現場に参集し、なお右両地に隣接する地主斎藤岩次郎もこれに参加して、公図に基いて寺崎和朗及び前記吉田貞一において実地につき測定し、被告人側がこれを確認し、右両地の境界として原審における検証調書添付の見取図表示の(ル)(オ)(ワ)(カ)(ニ)を結ぶ地点を確定し、その両端の(ル)及び(ニ)に該当する地点にコンタリート製の境界標を布設したこと、寺崎和朗の主張するいわゆる元の境界は右(ル)及び(ニ)を結ぶ境界よりこれと並行して約一尺程被告人所有の宅地(前記二千三百六番の一の宅地)内に入つた地点であり、その地点に昭和三十四年一月十日頃前記吉田貞一が寺崎和朗の依頼により板塀を設置しようとして被告人に差し止められたことがあり、その後、同年二月十九日寺崎和朗が他の大工を使用して設置した本件板塀の位置は右(ル)及び(ニ)を結ぶ境界に並行してこれより約五尺五寸(約一、六八米)被告人所有の前記宅地内に侵入した地点であることが認められるのであるから、本件板塀設置場所である前記検証調書添付の見取図表示の(ホ)(ヘ)(ト)(チ)(リ)を結ぶ地点は正しく被告人所有宅地内であつて、寺崎和朗所有の宅地内ではないことが明らかであるといわなければならない。したがつて、前記告訴状の記載は右認定を左右すべき資料とはなし難いところであり、結局原判決の認定は、所論の点につき、その挙示する証拠との間にくいちがいがあるものといわなければならない。もつとも、原判決は原審証人寺崎和朗の証言を援用して前記(ル)及び(ニ)を結ぶ境界は暫定的のものであるとし、右両地の境界は未確定のものであると認定判示しているけれども、右証人寺崎和朗の供述は前記各証拠に照したやすく措信し難いところであるのみならず、前記認定のごとく、寺崎和朗の主張する同人の祖父の作成せしめた図面に基く両地の境界は右(ル)及び(ニ)を結ぶ境界線よりこれと並行して約一尺程被告人所有地内に入つた地点であつたのに、本件板塀設置に当つては右境界より更に被告人所有宅地内に侵入し、右(ル)及び(ニ)を結ぶ境界線よりこれと並行して約五尺五寸の個所に板塀を設置したものであるから、右板塀設置場所が被告人所有の宅地内であつて、寺崎和朗の宅地内でないことは疑をいれないところである。結局論旨は理由がある。
同第二点及び第三点について。
論旨は、前記検証調書添付の見取図(ル)乃至(ニ)の境界線は被告人方宅地と寺崎和朗方宅地との境界線として終局的に確定したものであつて、寺崎和朗が右境界線より被告人方宅地内へ約五尺五寸の間隔を置き右境界線に並行する全長約五間の板塀を設置する工事に着手し、そのうち四間の部分まで完成したことは被告人の宅地所有権を不正に侵害したものであり、これに対し右板塀設置行為を阻止しようとしてなした本件被告人の所為は正当防衛行為にあたるのにかかわらず、これを否定した原判決は事実を誤認するとともに法令の適用を誤つたものである、というのである。よつて按ずるに、原審における検証調書添付の見取図に表示された(ル)(オ)(ワ)(カ)(ニ)を結ぶ地点が本件系争地である被告人所有の船橋市湊町三丁目二千三百六番の一の宅地と寺崎和朗所有の同所二千三百七番宅地との境界として被告人側及び寺崎側並びに隣地所有者斉藤岩次郎らが立会い、船橋市役所備付の公図に基き寺崎和朗及び前記吉田貞一において実地につき測定の上被告人側がこれを確認して右土地所有者間に確定されたものであることは前記認定のとおりであるのみならず寺崎和朗の主張していた同人の祖父が船橋市吏員をして作成させたと称する図面によるも右両地の境界は約一尺程の差異があるのに過ぎないのに、本件において寺崎和朗の設置しようと企てた板塀は、所論のごとく、前記見取図(ル)乃至(ニ)を結ぶ境界線より被告人方宅地内に約五尺五寸侵入した個所に、右境界線と並行して全長約五間に及ぶものであり、被告人が現場に駈けつけた際にはすでに四間位完成していたというのであるから、右寺崎和朗の所為は、すなわち、被告人の宅地所有権を不正に侵害した行為といわなければならない。なお、原判決挙示の証拠並びに当審における事実取調の結果によれば、寺崎和朗は前記のごとくその所有の宅地と被告人所有の宅地との境界を定めるにあたり、自ら主となつて公図に基いて実地につき測定の上境界線を確定し、自家所有のコンクリート製の境石を提供してこれを布設し、もつて両地の境界を明らかにし、異議なくその場を解散したのにかかわらず、その直後父武男に難詰されるや右は暫定的のものである旨弁解し、次いで昭和三十四年一月十日頃前記吉田貞一に命じて祖父が船橋市吏員に作成させたと称する図面に基き前記境界線より約一尺程被告人方宅地内に侵入した個所に板塀を設置しようとしたが、被告人らの制止に会い、中止し更に同年二月上旬頃他の大工に命じて被告人所有の宅地内に板塀を設置しようとしたが、この時も被告人らの制止により中止するに至つたのであるが、その後同月十九日もとより自己に権利なきことを知悉しながら、突如大工吉岡慶三及び鳶職斉藤某を使用して前記のごとく前記境界線に並行して被告人方宅地内に約五尺五寸侵入した個所に全長約五間の板塀を設置しようとし、被告人が急を聞いて現場に駈けつけた際にはすでに約四間の板塀がほぼ完成していたというのであるから、右寺崎の所為はまさに急迫不正の侵害というのほかはない。この点に関し、原判決は、右寺崎和朗の所為は被告人の宅地所有権を侵害したものとは認め難いのみならず、仮りに同人が被告人所有の前記宅地内に侵入して板塀を設置したとしても、同人において任意にこれを除去しない限り法律上の手続によりこれが救済を求めるべきであつて、被告人自ら剥ぎ取るなどして損壊することは法律秩序維持の上から法の許さないところであり、また被告人の右行為が正当防衛の要件である已むを得ない行為に該当するものとは認めることはできない、となすけれども、右寺崎和朗の所為が急迫不正の侵害であることは前認定のとおりであつて、直ちにこれを制止せず放置しておくならば、前後数時間にして全長約五間に及ぶ板塀は完成し、これが既成事実となつて被告人は土地所有権を侵害され、たやすく回復し難い損害を被るのみならず、不動産侵奪罪などの刑罰規定の制定なき当時にあつては警察官憲の助力を求める術もなく、しかも常に必ず仮処分その他の民事訴訟による法律上の手続によらねばならぬとせば、不法に権利侵害に甘んぜよというに等しく一方において悪事を看過しこれを奨励するもののごとくであり、条理にも反するものというべく、しかも被告人が右寺崎和朗の急迫不正の侵害を制止し、これを免れんとしてなした行為は僅かに板塀として打ちつけた古戸板一枚及び七寸巾厚さ二分三厘位の薄板一枚(原判決認定の高さ六尺位、長さ四尺位の板塀に該当するもの)を手で剥ぎ取つたに過ぎず、その被害はまことに軽微(原判決の認定によればその被害額は三百円位)であるから、右は急迫不正の侵害にし自己の権利を防衛するためやむことを得ざるに出た行為、すなわち正当防衛行為に該当するものと認めるを相当とする。されば、原判決は所論のごとく、事実を誤認し、かつ法令の適用を誤つたものというべく、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかなところであるから、結局論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。
よつて、刑事訴訟法第三百九十七条に則り原判決を破棄し、同法第四百条但書に則り当裁判所において直ちに判決すべきものとする。本件公訴事実は、被告人は昭和三十四年二月十九日午後零時三十分頃船橋市湊町三丁日二千三百七番地寺崎和朗方宅地境界において同人所有にかかる高さ六尺位、長さ四尺位の板塀を手で剥ぎ取る等してこれを損壊したものである、というのであるが、前記説示の理由により刑法第三十六条第一項に該当するものと認められるから、刑事訴訟法第三百三十六条に則り被告人に対し無罪の言渡をなすべきものとする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 坂井改造 判事 山本長次 判事 荒川省三)
弁護人森武市外一名の控訴趣意
第一点原判決はその理由にくいちがいがあるから破棄すべきである。
(一) 原判決は理由第一項罪となるべき事実において、「被告人は昭和三四年二月一九日午後零時三〇分頃、船橋市湊町三丁目二、三〇七番地寺崎和朗方宅地境界において同人の所有に係る高さ六尺位長さ四尺位の板塀(時価三〇〇円位)を手で剥取る等してこれを損壊したものである」と認定し次で理由第二項証拠の標目において(一)乃至(七)の各証拠を上げている。すなわち、原判決は、被告人が損壊した板塀の設置場所(検証調書添付図面(ホ)(ヘ)(ト)(チ)(リ))は船橋市湊町三丁目二、三〇七番地の境界であつて同地番の土地所有者は寺崎和朗であると認めている。
(二) ところで、右二、三〇七番の土地所有者が寺崎和朗であることは、原判決の挙示する寺崎和朗の証言中その旨の供述がある(記録六四丁表)けれども右板塀設置の場所が右二、三〇七番宅地の境界であることについては、右寺崎和朗は何等の証言もしていない(記録六四丁以下七九丁迄)。そればかりか、原判決の挙示する(一)乃至(七)の各証拠中にも全然これを認むべき記載又は根拠はない。
(三) かえつて、原判決は理由第三項弁護人の主張に対する判断において「被告人所有の船橋市湊町三丁目二、三〇六番の一宅地と寺崎和朗所有の同所二、三〇七番宅地との境界附近地域は空地になつて居り、いわゆる子供の遊び場に使用されるままに放置されていた所で右両地の境界を示すべき標示は何一つなかつたのであるが、昭和三三年一二月一〇日頃前記寺崎和朗より右両地の境界を定めようという申出があり同月一四日被告人側では同人の代理人として母滝口ふさ伯父角頼宜の二人、寺崎和朗側では本人、和朗の父武男、吉田貞一外に寺崎方の家族二、三名とが境界を定めるべく現場に集合したるも両者の主張に一致せざるところあり、角頼宜の提案で第三者の意見を聞くことになり、予て知合の伊藤治夫の立会を求め、同月一五日前記の人達及び伊藤治夫とが現場に集合して公図に基き前記両地の境界を確定し(検証調書添付図面(ル)(オ)(ワ)(カ)(ニ))境界線の両端にコンクリート製の境界標を布設した(検証調書添付図面(ル)(ニ))」旨認めている。しかしながら、原判決は「この境界線は寺崎和朗が現状を無視して公図のとおり一応測つて鉄棒の杭を二ケ所に埋めたがこれは暫定的のものであると述べていること境界線を決めた後一二月一七日に寺崎和朗の家族が境界について異議を述べたこと昭和三四年一月一〇日頃及び同年二月上旬頃の二回にわたり、寺崎和朗が自己の境界線と主張する個所(検証調書添付図面(ホ)(ヘ)(ト)(チ)(リ))に板塀を設置せんとしたが、被告人又は滝口ふさ等に制止されたこと寺崎和朗が内容証明郵便で二回にわたり境界線は自分の主張するところが正しいからそこに塀をを作ると申入れたこと」を認め、結局右両地の境界は未だ確定的のものではないと推断する。しかして、同年二月一九日寺崎和朗は更に大工吉岡慶三鳶職斎藤某の二名に依頼し前記自己の主張する境界線(倹証調書添付図面(ホ)(ヘ)(ト)(チ)(リ))に並行して全長約五間の板塀を設置するため工事に着手し、その内四間位の部分まで完成したところ被告人がやつて来て古戸板一枚を剥ぎ取り抜塀を損壊した旨認定している。
(四) すなわち、原判決は前記被告人所有の二、三〇六番の一宅地と寺崎和朗所有の二、三〇七番宅地との境界線は関係者立会の下に定められたが、未だ確定的のものではない(確定的であるか否かについては後記控訴理由第二点に詳述)というに止まるから関係者間において、右両宅地の境界は一旦検証調書添付図面(レ)(オ)(ワ)(カ)(ニ)に確定することの合意が成立したことを是認しているのである。このように、原判決は前記両宅地の境界が一旦確定したことを認め、これがその後変更されたことを認めておらないのであるから本件被告人の損壊行為当時も依然確定の効力を有するものである。従つて、原判決も右図面(ホ)(ヘ)(ト)(チ)(リ)の境界線は単に寺崎和朗が自身で主張する境界線に過ぎないとしており、ここに同人が昭和三四年一月一〇日頃及び同年二月上旬頃の二回にわたり板塀を設置しようとしたところ、被告人又は滝口ふさ等に制止されたことを認定しているのであるから右寺崎の主張する境界線は右確定の(ル)乃至(ニ)の境界線を超えて被告人方宅地内であること明瞭である。そして原判決は本件において、被告人が損壊した板塀は右寺崎和朗の主張する境界線に並行して設置したことを認めているのであるからその場所は船橋市湊町三丁目二、三〇六番地の一被告人所有の宅地内とすべきこと理論上当然であるにかかわらず、前記(ニ)の通り何等の証拠もないのにこれを同所二、三〇七番寺崎和朗方宅地境界としたことは明らかに矛盾している。
第二点原判決は事実誤認がありその誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。
(一) 原審において弁護人は「船橋市湊町三丁目二、三〇六番地の一被告人方宅地と同所二、三〇七番地寺崎和朗方宅地及び同所二、三〇八番の五斉藤岩次郎方宅地との境界について、昭和三三年一二月一五日右各所有者の外角頼宜、吉田貞一、伊藤治夫等が立会合意の結果公図に基き測量し境界線の両端に境界標を布設(検証調書添付図面(ル)点(ニ)点)して明確にしてあつたにもかかわらず前記二、三〇七番宅地の所有者寺崎和朗が昭和三四年一月上旬並びに二月上旬の二回にわたり境界標を布設した境界線(前記図面(ル)(オ)(ワ)(カ)(ニ))より二、三〇六番の一被告人方宅地へ約五尺五寸侵入し右境界線に並行し板塀を設置しようと企て、その工事に着手したがその都度被告人又はその母滝口ふさ等に制止されこれを中止したのである。ところが、前記寺崎和朗はなおも被告人方宅地へ侵入する意図を棄てず、昭和三四年二月一九日大工吉岡慶三、鳶職斉藤某の二名に依頼して、前記境界線より被告人方宅地内へ約五尺五寸の間隔を置き右境界線に並行する全長約五間の板塀(前記図面(ホ)(ヘ)(ト)(チ)(リ))を設置するため工事に着手しその内四間の部分まで完成した。」と述べ被告人の判示行為は寺崎和朗が被告人の宅地所有権を不正に侵害したことに対する防衛行為である旨を強調した。
(二) 原判決は第三項弁護人の主張に対する判断において、昭和三三年一二月一五日確定した境界線(検証調書添付図面(ル)(オ)(ワ)(カ)(ニ))は確定的のものでないから寺崎和朗において被告人の所有地内に立入り板塀を設置して、被告人の宅地所有権を侵害したものとは認め難いとし、前記弁護人の主張を排斥した。そして、その理由として次の四つの事実を挙げている(原判決書四枚目裏)(1) 証人寺崎和朗は、当公廷において境界を定める際現状と公図とが違つていたが私は現状を無視して公図のとおり一応測つて鉄棒の杭を二ケ所に埋めたが、これは暫定的のものであると証言していること。(2) 証人滝口ふさの当公廷における供述によれば右両地の境界線を定めた後一日位経つた同月一七日頃滝口方へ和朗の父と弟と祖母、母とが来て境界はあれでは違うというたこと。(3) 昭和三四年一月一〇日頃及び同年二月上旬の二回に亘り寺崎和朗が自己の境界線と主張する個所に板塀を設置せんと企てその工事に着手したがその都度被告人又はその母滝口ふさ等に制止されこれを中止したこと。(4) 寺崎和朗より内容証明郵便をもつて二回境界線は自分の主張するところが正しいから其所に塀を作ると申越されたこと。
(三) しかし、このような事実を理由に前記一二月一五日確定の境界線が確定的なものとは認め難いというのは明白な事実誤認である。
(イ) 原判決は、第一に前記(ニ)の(1) のとおり寺崎和朗の証言を採用しているが、次に述べるような境界確定における経過事情を考慮すれば、右証言は虚言であつて到底措信できないのである。(1) 昭和三三年一二月一五日定められた境界線(検証調書添付図面(ル)乃至(ニ)以下前記図面(ル)乃至(ニ)という)は、寺崎和朗方の必要性により同年一二月一〇日頃同人の申出で定められることとなつたものである。すなわち、まず、昭和三三年一二月初旬頃寺崎と滝口ふさとの間に「土地の交換をしようということで話合つたが、公図と原図(矢境力蔵作成の図面)とが違うのでその話はできなくなり(同月)一四日に境界を定めようということになつた」(証人吉田貞一の証言記録一四九丁裏)のである。こうした必要の外に「昨年の一二月一〇日頃祖父の建てた家には板塀がありましたが移築した方にはなかつたので無用心であるので塀を作ろうと思つて話に行つた。」(証人寺崎和朗の証言記録六五丁表-裏)ことも理由の一つであつた。このように、境界を確定しようとする契機には十分首肯できる理由があり、その内には暫定的な境界を定めるという事情は全然存在しない。そして、この話合いを持ち出した寺崎和朗自身「どういう訳で話合つたのですか。」との問に「境界をはつきりきめて塀を作ろうと思つた。」(同人の証言記録六五丁裏)と述べ境界を終局的に確定する意思であつたことを表明している。(2) 一二月一四日境界を定めるにつき、被告人側と寺崎和朗側との主張が対立し、伊藤治夫が双方の中に入つて市役所の公図に基いて境界を決めることを提察した時寺崎和朗もこれを承諾したのである。すなわち、右提案に対し、寺崎和朗は「それで結構です。」(証人角頼宜の供述一〇一丁裏)と述べ、また寺崎側立会人吉田貞一はそれで不服は云つていませんでした」(同人の証言記録一五一丁表)と述べているのである。境界を定めるさい公図を基本とすることは最も公平で常識に合致した方法であり、後記のように右話合いの翌日寺崎和朗自身市役所へ公図を閲覧に行つていること及び実地測量に際して、同人が主動的役割を果していたことからみても、寺崎は公図を基本としてこれに基き実地を測量して境界を定めることを承諾していたのである。(3) 一二月一五日角頼宜、伊藤治夫、寺崎和朗、吉田貞一の四名が市役所へ行き公図を閲覧し、その写によつて実地を測量した結果前記図面(ル)乃至(ニ)の境界線が定まつた。この間寺崎和朗は計算器や定規を用いて公図の写を作成し(証人角頼宜の証言記録一〇二丁表、証人伊藤治夫の証言記録一一三丁裏)、また実地測量をするについては「吉田貞一と寺崎の二人が巻尺で測りその他の人が確認して決めた」(証人吉田貞一の証言記録一五三丁裏)。すなわち、公図を閲覧するにも実地測量に於ても寺崎和朗は常に主動的役割を果し、被告人側関係人は単にこれを確認していたに過ぎない。このように主動的に行動すること自体公図を基本とする境界確定方法を是認していたことを示す。もしこれが不承諾であればこのように主動的行動に出ることはない。(4) 境界を定める経過を見ると、寺崎和朗の申入れ、伊藤治夫、吉田貞一等第三者の立命境界確定方法に関する協議、公図の閲覧、実地測量、境界標の布設等極めて慎重な手続で進められている、このような手続は一時的に境界を定める場合と著しく異なつている。(5) 前記図面(ル)点(ニ)点には境界標を布設し境界線を明確にしてあつた。本件の境界標は「二寸五分か三寸角の長さ二尺五寸位の境石」(証人伊藤治夫の証言記録四三丁裏証人滝口ふさの証言記録一二六丁裏)でコンクリート製である。この境界標は「寺崎さんの所有で移築の際赤坂から持つて来た。」(証人吉田貞一の証言記録一五四丁表)もので、このことは寺崎和朗自身も是認している(同人の検証における説明記録一四〇丁表)。そして「これを母屋の方の入口の処に保管して置いた。」(証人吉田貞一の証言記録一五四丁表)。これを布設した経過は、境界が実地測量の結果前記図面(ル)点(ニ)点を結ぶ線に決まつたので、伊藤治夫はこれを明確にするため境界標を布設する必要を感じ滝口ふさに対し「石の杭できちんとやらなくてはいけないから買つて来いといつた。」ところ寺崎和朗が家にあるからといつた。(同人の証言記録一一四丁裏証人角頼宜の証言記録一〇三丁表証人斉藤岩次郎の証言記録一〇九丁表証人滝口ふさの証言記録一二五丁裏)。それで吉田貞一が当時傍にいた寺崎和朗の父武男から「あそこに石があるから持つて来てくれ。」(証人吉田貞一の証言記録一五四丁表)と依頼されたので、同人は寺崎方母屋の入口附近に保管してあつたコンクリート製境界標二本を境界現場へ持つて来た。そして前記図面(ル)点の方を斉藤岩次郎が主として穴を堀り(同人の証言記録一〇七丁裏)また(ニ)点の方を当時現楊へ来ていた被告人が穴を堀り(証人角頼宜の証言記録一〇三丁裏)、角頼宜、滝口ふさ、伊藤治夫、寺崎和朗、吉田貞一等が立会確認の上前記境界標を布設したのである。このように、この境界標は有合せの石等と異なり、特に境界標として作られたものであつて、一時的の目印しではないこと、この境界標は、寺崎和朗の所有であり、かつ従来同人が保管していたこと、被告人側において境界石を購求しようとしたのを制止し寺崎和朗自身がこの境界標の使用を申出たこと、これを布設するにさいし、その場所を寺崎和朗自身確認していること等の事実をみれば、寺崎和朗及び関係者間でこの境界を終局的に確定する合意が成立していたことを推断するに十分である。もつとも、寺崎和朗は、本件検証現場で前記図面(ル)点(ニ)点に布設した境界標について「私はこの境石は知りません、私か移築したときにそのような境石を持つて来てあつたので被告人の方で勝手に埋めたものと思います。」(記録一四〇丁表-裏)と述べている。しかし、この境石が寺崎が移築するさい持つて来たものということは前記吉田貞一の証言と符合するから、その後寺崎が母屋の入口附近に保管してあつたことも明らかである。被告人側では、この境石を保管してあることを全然知らず新しいのを買いに行こうとしたところだつたのであるから、これを被告人の方で勝手に持出すということはあり得ない。寺崎の前記証言は全くの強弁である。(6) 一二月一五日境界石を入れた直後寺崎和朗と伊藤治夫との間に和朗さんがこれが縁でよろしく頼むといい勤先と杉並の住所を書いて私(伊藤)に寄こした。そこで、私は名刺を持つていないといつたら自分(寺崎)の手帳を出してここに書いてくれといつたので住所氏名を書いて渡しました。その時、私は東京へ行つたらお茶でも飲まうといい、まあよかつたということで別れました。」(証人伊藤治夫の証言記録一一六丁表)という会話となごやかな情景がある。このように、当日寺崎和朗は境界確定につき何等の不服も述べていなかつたのである。(7) 寺崎和朗は「現状と公図とが違つていたが、私は現状を無視して公図のとおり一応測つて鉄棒の杭を二ケ所に埋めました。」(同人の証言記録六六丁表)と述べ、原判決はこの証言を採用していること前述の通りである。しかし、一二月一五日に立会つた伊藤治夫、角頼宜、斉藤岩次郎、滝口ふさ、吉田貞一のうちその当日鉄棒を見たものは誰もいない。又そのような話も全然出ておらない(同人等の証言記録一一九丁表-裏、一〇四丁裏、一〇九丁裏、一二六丁表、一五四丁裏)。また寺崎和朗は、昭和三四年八月一八日の第二回公判においてその鉄棒は今でもあると思います。」(同人の証言記録七五丁裏)と述べたが、同年九月二八日の本件現場検証には鉄棒は見当らなかつた(検証調書第五項記録一四一丁裏)。かえつて、証人吉田貞一は第四回公判において「一二月一六日の朝寺崎武男さんと寺崎和朗さんの弟が馬鹿にしているそんなことはないと怒つて元の境界の処に鉄棒を入れました。」「元の境界とは寺崎和朗の祖父の作つた図面にある境界です。」(同人の証言記録五四丁裏)と述べている。鉄棒は寺崎和朗が入れたものではなく、同人の家族であり、また一二月一五日に境界標を布設した日と異なり、その翌日であり、そして、その場所も前記図面の(ル)点(ニ)点でもないのである。従つて、これはすでに一五日に境界標を布設して境界が確定した後のことであり、寺崎和朗の家族の勝手な云分を示すだけであるから右確定の境界線に何等の影響もない。それにもかかわらず、寺崎和朗はこれを一二月一五日の出来ごとのようにすりかえて証言しているのであるから、前記寺崎の証言は全く見当違いである。(8) また、右寺崎は境界が暫定的であることの理由として「私の家の東側の道路巾員が決まらなくては私の方の境界が決まらない。」(同人の証言記録六六丁裏)と述べている。ここに東側の道路というのは、前記図面(A)点から(B)点に至る道路のことであるが、一二月一五日確定した境界線はこの道路に対し西北側にあり(ニ)点と(ル)点を結ぶ直線で(ニ)点において右道路に接する。この(ニ)乃至(ル)の境界線は東側道路の巾員の広狭に関係なく定められるのである。しかし、右境界線を定めるに際し、道路巾は溝の巾を除き九尺を測定した(証人吉日貞一の証言記録一五二丁裏)のであるから道路巾は決まつていたのである。(9) 以上(1) 乃至(8) に述べたように寺崎和朗が一二月一五日の境界線は暫定的であるとする証言は信用できないことが明らかである。そして、また、この外に特に暫定的だと解すべき事情又は証拠は全然存在しない。従つて、弁護人主張のように昭和三三年一二月一五日前記図面(ル)点乃至(ニ)点を結ぶ境界線は各所有者及び角頼宜、吉田貞一、伊藤治夫の各立会人立会の下に終局的に確定をみたのである。これは、法律的には右宅地の境界につき当事者の主張を互譲して民法六九五条の和解の合意が成立した結果である。従つて、爾後所有者各自においてこれに反する主張はできないのである。
(ロ) 第二に、原判決は前記(二)の(2) (3) (4) 記載のとおり昭和三三年一二月一五日境界確定後の事実を上げ、右境界は確定的でないと判示する。しかし、これらの事実はどうして一二月一五日の境界確定の効力に影響を与えるのか全く理解に苦しむ。(1) まず、これらの事実は何れも一二月一五日以後である。一旦確定した事実についても後日不服のあることは稀にはある。しかし、その場合に一旦約束した者が単に不服を申立てたり、契約を無視して違反の行為に出たり、自己の主張が正しいと通告したり等ただそれだけのことで先にした契約が暫定的なものとなるのであれば、契約とか合意とかは全く無意味で法律生活の安定は根本から覆返えされてしまう。従つて、このような理論は全くの暴論である。本件においても、かりに前記(二)の(2) (3) (4) のような事実が後に生じたとしても一二月一五日にした境界確定の合意には何等の影響もないのである。(2) 次に、右境界確定の合意は前記の通り民法弟六九六条の和解である。従つて、被告人及び寺崎和朗は前記図面(ル)乃至(ニ)の境界線を境に互にこれを超える部分の宅地につき自己の所有権が及ばないことを認めたのであるから、同法第六九六条の規定により右境界線を超える宅地部分につき後日所有権を有することの確証を生じてもこれは右和解により消滅しているのである。本件においては一二月一七日頃滝口方へ寺崎和朗の父と弟と祖母、母とが来て境界はあれでは違うといい、寺崎和朗が内容証明郵便をもつて二回境界線は自分の主張するところが正しいから其所に塀を作ると通知したに過ぎない。すなわち、前者は所有者以外のものが単に不服を述べたに過ぎず、後者は所有者の主観的判断を通知しただけである何れも和解の合意に影響なく、従つて前記境界線確定の効力を左右するものではない。(3) かりに、右一二月一五日の境界線が確定的でないとする原判決の認定に従うとしても、原判決は一方において一二月一五日一旦境界線の確定されたことを是認している(原判決書四枚目末行記録二六〇丁表)。そこで、境界が一旦確定したのであるから、これが変更されるためには更に当事者間で変更協議が成立するか、或いはこれを変更する裁判がなければならない。このような事由のない場合にはその事由が生ずるまで右境界確定の効力は継続しているのである。本件において、寺崎和朗の家族が不服を申立てたこと、寺崎和朗が内容証明郵便で通知したことがあるのみで右のような事由は存在しない。まして、寺崎和朗が自己の主張する場所に二回にわたり板塀を設置しようと企てたことは暫定的境界線であつても被告人の所有土地に侵入した不法行為でこそあれ境界を変更する原因ではない。(4) 以上(1) 乃至(3) に述べたように原判決の認定する前記(二)の(2) (3) (4) の事実は一二月一五日確定した境界線が確定的のものでないとする証拠にはならないものである。
(四) こうして、前記図面(ル)乃至(ニ)の境界線は、被告人方宅地と寺崎和朗方宅地との境界線として終局的に確定したのである。それにもかかわらず、昭和三四年二万一九日寺崎和朗がこの境界線より、被告人方宅地内へ約五尺五寸の間隔を置き、右境界線に並行する全長約五間の板塀を設置するため工事に着工し、その内四間の部分まで完成したことは、被告人の宅地所有権を不正に侵害したものである。これを否定した原判決は事実誤認の違法がある。そして、右不正の侵害あるにかかわらず、誤認によりないとしたので正当防衛の主張を排斥し、主文において被告人に有罪の判決を言渡したのであるから、右誤認が判決に影響を及ぼすこと明らかである。
第三点原判決は法令の適用に誤がおり、その誤は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから被棄すべきである。
(一) 原判決は、第三項弁護人の主張に対する判断において「しかして同年二月一九日寺崎和朗は………前記自己の主張する境界線に並行して全長約五間の板塀を設置するため工事に着手しその内四間位の部分まで完成したところこれを聞知した被告は現場に急行し作業を進行している大工吉岡慶三、鳶職斉藤某に対し「ここは俺の土地だから作つちやだめだ。」と口頭をもつて作業を制止したが、大工等はこれを聞き入れずなお作業を継続しているのでこれを憤慨した被告人は板塀として打ちつけてある古戸板(巾四尺高さ六尺)一枚を素手にて剥ぎ取つて損壊した。」と認定し、「仮りに寺崎和朗が被告人所有の前記宅地内に侵入して板塀を設置したとしても同人において任意にこれを除去しない限り、法律上の手続によりこれが救済を求むべきであつて被告人が自ら剥ぎ取るなどして損壊することは法律秩序の維持の上から法の許さないところであり、また被告人の右行為が正当防衛の要件である已むを得ない行為に該当するものと認めることはできない。」と判示し、刑法第三六条第一項の適用を排斥した。
(二) これは次の理由によつて法令の適用を誤つたものである。(1) 被告人は、一二月一五日境界確定につき、境界標を布設する頃現場に居合せ(証人滝口ふさの証言記録一二五丁)、確定に至る経過については母ふさ、伯父角頼宜等から聞知し(被告人の供述記録一六三丁表)前記図面(ル)乃至(ニ)の直線が寺崎和朗の宅地と自己の土地との境界で本件で板塀を設置した場所は明らかに被告人の宅地内であると信じていた。(2) 寺崎和朗は本件の板塀設置の以前に右境界線を無視して二回にわたり本件と同じ場所に板塀を設置しようと企てその都度被告人等に制止されたことがあり、執拗な侵入に困り抜いていた状態で本件の現場で話合いによる解決を期待できなかつた。(3) それでも、被告人は現場でまず口頭で「ここは俺の土地だから作つちやだめだ」(同人の供述記録一六五丁表)といつて作業を制止しようとしたのに対し、大工の吉岡慶三、鳶職の斉藤某等はこれを默殺し、なおも作業を継続しており、当時現場には寺崎和朗もいたのにもかかわらず(証人寺崎和朗の証言記録六九丁裏)同人は作業を中止させなかつた。(4) 被告人が板塀に用いてある古戸板を手で剥ぎとつたのはすでに作られた板塀全部を撤去する目的は少しもなく飽くまで寺崎和朗又はその使用人である大工等の作業を中止させることにあつた。これは被告人が「これは俺の土地だから作つてはいけないと云つたら知らん顔をしていたのでやめさせる為にやつたのです。」と述べている(被告人の供述記録一六五丁表)こと、剥ぎ取つた部分が古戸板一枚薄板一枚という極めて僅少部分であることからも明らかである。(5) 一般に、土地所有権者は自己の土地に対する不法侵入又は不法占拠などの侵害行為が開始されるときこれに対し、所有権の内容としてこれを停止又は排除することができる。特に、本件のように所有権者である被告人の目前において現に土地の侵害行為が継続し、板塀によつて一定範囲の土地を不法に占拠しようとしている場合には、直ちにこれを停止しなければ容易に原状回復できない状態となるから、被告人が多少の実力を用いても板塀設置の作業を停止させようとしたのは所有権者として当然のことである。これを默過し、更めて訴訟手続によらねばならないとするのは、訴訟制度そのものの解釈に誤りがあるのみならず、通常何人に対しても期待できないことを被告人に求めるものである。(6) 被告人の剥ぎ取つた板塀の部分は古戸板(巾三尺高さ六尺)一枚と薄板(巾七寸高さ六尺)一枚で、しかも、これは釘で打ちつければ再び使用できる(証人伊藤治夫の証言記録一二〇丁表、証人滝口ふさの証言記録一三二丁裏、被告人の供述一六四丁裏)程度で寺崎和朗に与えた損害額は極めて僅少であるに対し、被告人の受けた損害は寺崎の不法な板塀設置により、前記図面(ニ)(ホ)(リ)(ヌ)(ル)に囲まれた土地約五坪の占有を失い、利用できなくなり、被告人の受けた損害は与えた損害より遥かに大きい。(7) 寺崎和朗は、昭和三四年一月上旬板塀を作るさい吉田貞一に依頼した、その時の模様を吉田は「元の境界に作つてくれと云われ」これは「皆で決めた境界より一尺程滝口の方に入つています。私は図面ではわからないので、何処に作るのかと寺崎武男さんを引張つて現場の指示を仰いだのです。」そして「私(吉田)は寺崎武男さんに滝口にこれでは壊されるよと云つたら壊されてもよいから作つてくれと云われた。」(同人の証言記録一五八丁表、裏)と述べている。そして、その後再び寺崎が「塀を作つてくれと云いましたので、又壊されると云つたら今度壊したら警察沙汰にすると云つていました。」(前同人の証言一六〇丁裏)と述べている。このような経過からみると、本件二月一九日の板塀設置は寺崎和朗において境界線を超えて作るものであることを熟知した上、被告人から抗議のでることを当然予想し、若し被告人が作業を中止させるような手段に出た場合には、警察を利用しても被告人の宅地内に板塀設置を強行する意図を以て、挑発的行為に出たものである。そして善意な被告人はこの悪意に満ちた術策に陥入つたのである。
(三) 以上(1) 乃至(7) の事情は何人を被告人の地位においても、必ずや防衛の必要を感じその程度の防衛を行うことを必要とする一般的客観的事情であるから、被告人の判示行為は急迫不正の侵害に対してなした已むを得ない正当防衛行為というべく、従つて、刑法第三六条第一項を適用して無罪の判決が言渡さるべきものである。